人はモロイかオモロイか? -2ページ目

元気に復活!

冷え性のせいか、寒い朝は頭も体も思うように動かなくて、訳わからんようになる。
今朝も、危なかった。もう、泣くぞ!と思いつつ通勤。
今は暖かいし、お腹も満たされたから、楽しいことを次々思いつく。

寒い朝に良くやる失敗は、頭空っぽで記憶のないまんまに、機械的に自宅から駅まで来て、定期が必要なことに気が付くこと。一番危ないときには、改札口の前まで来ても、定期が必要なことを思い出せなかったりして。
普通の日は、考えなくても手が定期を出してくれてたりするけど、寒い日は勝手に手が空振りするから、余計に訳が分からなくなって、改札前を塞いで立ち止まってしまったり。
自分の目の前に、流れを止める人がいるとかなり苛つくのに、自分がやっちゃうと、その後しばらく自己嫌悪が抜けないんだよな。
でも、旦那が朝、私を送り出すときに必ず「鍵・携帯・財布・定期はもったか?」と確認してくれるようになって、定期忘れて家まで戻って遅刻って言うのはなくなったから、そのぶん通勤時の落ち込みネタは減ったけど。

今日は電車に乗ってからも、いつもどおりに本を読むのに、思うように手が動かなくてページめくりの感じが変で、うまく本が読めない。けど、本を読んでいないと地下鉄なんて我慢できないし、読めないのと読みたいのとでイライラ。
なんだかそれだけで泣きたくなってきたから、乗換駅でコーヒーを飲んで落ち着くことにした。
店に入って並んでいるパンを見たら、朝ご飯抜きでお腹が減ってる事に気が付いて、だから余計にイライラするかもとサンドイッチに手を出したけど、どんな種類があって今自分が何を食べたいのかが良く分からない。
でも、考えるのも立ち止まることもできなくて、適当にとってそのままレジ前に並んだ。
パンとコーヒーを持って満員の店内ウロウロしたら、運良くすぐに目の前の席が空いて座れたし、サンドイッチは好きな中身だったし美味しかったし、体も温まったから、そこから一気に人間に戻ったー!

今日は何だかラッキーです。

そうそう、なんでも悪いことばっかりじゃないんだよなー。
イヤなことが余計にラッキーな気分を呼んでくれたりするもの。
子供達が寄ってきて、まとわりつきに来るのは、うっとおしいけど、頼られるとなぜか元気になれたりするし。

そういえば、年子の上の娘が妹とのトラブルの顛末の報告と相談に来た。
妹も姉と仲直りしたことで表情が明るくなっている。
今月のお小遣いをもらって2人で買い物に行きたいとか言ってたな。
妹の方、まだ午前中は布団から出られないし、学校も行きたくないのに、買い物と料理はできるんだよねー。
(今日も休みおってからに…夕飯はお前が作るのじゃ!)

さて、お昼休みも終わりだし、眠気こらえて午後も頑張って仕事しますかな。
余計なことは考えないのだ。もうちょっと落ち着くまで。
(ま、春頃までには良い考えも浮かぶだろう。たぶん。きっと。)

ちょっと休憩

解ってもらいたい、助けてもらいたいと思って、ADHDの疑いがあるって事をよその人に言ったけど、やっぱりうまく伝わらない事もある。

今まで、子供を時間どおりに送り出せないことに関して、私を注意しフォローするのに疲れて、ちょっと怒っていた世話役のお母さんがいた。
どうしてもペースを合わせられず、自分が悪いのを棚上げにして、私はその人を避け始めていた。
子供が自分の力で準備し、時間までに参加できるようになるまで、その人を避けつつ、なるべく迷惑をかけぬよう頑張ればいいかと思っていた。
(この件に関係してる息子は、多少腕白だけれど、集団行動の出来る子だし。)

ところが、私の話を聞いていたお母さんの一人と、私のことを怒っていたお母さんが仲が良かったので、話が伝わったらしく、必要以上にフォローをしようと「あんまり気になさらないでね。」という前置き付きで、こまめにあれこれ私に話しかけて来るようになった。
息子に関しても、息子自体が娘のようにフォローの必要な子供だと思ってしまったかも知れない。

話が人づてに伝わることは予想していたし、フォローしてくれること自体はありがたいのだが、苦手な人に関わられることが、こんなに気分の落ち込むことだとは知らなかった。
今までは、嫌いな人は嫌いで関わらずに生きてきたのって、本当に恵まれてたけど、子供のためには逃げられないような。
仕事でも、嫌な人、嫌なことは絶対嫌だとはっきり口に出してしまうのでよくトラブルになってしまったけど、その分あとは関わり合いにならずに済んだのに。

色々考えすぎたのか、寝ているとき、起きて生活している夢ばっかり見てスグに目が覚めちゃって、寝た気がしない。眠いし、やる気が出ないし、イライラするしで、酒を飲み始めたらつい飲み過ぎて、金曜は記憶のない酔っぱらいになってしまった。

で、また自己嫌悪。
気持ち悪いのが残っているのを寝て直そうとすると、休みの日なのに、すぐに下請けさんに連絡取らなきゃ納期に間に合わないのに、電話もメールも忘れてた!なんて夢見て目が覚める。
で、また旦那を巻き込んでアニメや特撮のバカ話で盛り上がりながら大酒を飲んだ。疲れて眠くなったから寝ると、また現実みたいな夢見て何度も目が覚める。

きのうの朝、もう動けなかった。

上の子ども達は、朝寝坊の母には慣れているので、自分たちでさっさとご飯を食べて学校へ行った。

でも、昨日は寝坊じゃなくって起きられなかった。
私につきあって飲み過ぎた旦那も起きられなかった。
下から2人は、起こす気力がなかったから、一緒に学校も保育園も休み。
昼前に旦那が起きて子供達も起きて、ご飯を食べたら旦那は仕事。
私の寝ているそばで、子供達は喧嘩したり仲良くしたり、騒がしく遊び始めた。
起きている子供達と一緒にいるのって、久しぶりだった。
煩いけど、一緒にいると笑える。
おもちゃと絵本がまき散らされた部屋で、3人でごろごろ。
なんだかイイよな。元気になってきて、起きあがったら腹が減っていた。

本当は、苦手な人の所為じゃなくて、ADHDについて一気に知ろうとしすぎて、自分や家族がどうすればいいのか考えすぎてしまったのが落ち込んだ原因かも知れない。考えるのが苦手なのに、無理したかも。

とりあえず、ご飯を作る以外、何にもしないでイイやと思ったら、今日はまた、ふつうに会社の仕事も出来た。

明日のことは、また明日考えよう。

思春期の娘達

年子のせいか、いつも喧嘩しながらくっつきあっている2人がいる。
父親そっくりで、感情をすぐに爆発させるし、ええかっこしいで悪ぶるけど、実はナイーブな姉。
妹たちの面倒をよく見るし、決められた家事もするし、よく家族を笑わせてくれるんだけど、行動の端々に、私と同じ傾向を見せる、あぶなっかしい妹。

二人とも、影響し合いすぎていてそろそろ別々に行動しなくちゃいけないと思うのに、姉は無意識に妹に依存してるし、妹はイヤだといえずにストレスをためている。

そして、たまに家族を巻き込んで、狭い家の中で壮絶な喧嘩を始め、翌日は2人揃って落ち込んで学校をさぼるのだ。

その姿が、自分たち夫婦の結婚当初を思わせることがある。
私たちは、自分が面倒を見なければ死んでしまうかもしれない小さな赤ん坊の存在や、子育てのついでにいろいろアドバイスをくれる保育園の先生に助けられたけど、この子達には今、そういう助けてくれる人がいない。

なにより、妹の方は、放っておいてやったりかまったりするタイミングが何となく分かるけど、普通の思春期の女の子である姉娘を、私は扱いきれないようだ。

私が、普通の女の子の感情を理解できないのを伝えた方がよいのだろうか?
旦那は、自分は男だからと完全にさじを投げている。
女の子なのだから母親が関わってやるべきなのだろうけど、どうして良いか分からない。

馬鹿なことだが、本当に困ったなー。

私は生まれたときから今までずっと第一反抗期だと、自分の母親に言われているけれど、精神年齢3歳で、子供を産んじゃったんだろうか…

全部で幾つ?

うちの旦那と育児の仕方が似ているおとーさんと、うちの末っ子と同い年の双子ちゃんが気になって、ちょくちょく読ませて頂いているkomaruさんという方の『双子日記』というblogがある。
(私ったら、身の程知らずに、女の子の双子を産むことに昔は憧れてたなー。)
そこで、「爪切り60本勝負!」というエントリを読んで、自分が育児で追い込まれていた頃を思い出して大笑い。
(komaruさん、失礼だったらすみません…)
うちに双子はいないけど、年子がいたので小学校低学年以下の子供が5人だった頃。
いつも誰かしらの爪を切り忘れ、「危険なので切ってください」と保育園のノートのどれかに毎週のように書かれていた。
毎週切っても切っても伸びる子供の爪との追っかけっこ。たかが爪切りが、ものすごくプレッシャーになっていて、「爪を切ってきてください。」と言われたりノートに書かれたりする度に、泣きそうになっていた。
ふとある日気づくと、下から2番目の子供の爪を切った記憶がないのに、きれいな手をしているのです。
もしかして今まで何度も切って貰っていた?と気が付いて、保育園で担任の先生に尋ねたら
「お宅では両手足合わせてお子さんの爪100本でしょ?それじゃ大変ですもの。時々内緒でお手伝いしますからね。」と笑顔で言ってくださった。
確かに5人いたら100本だ!そりゃ無理だわ…と、初めてその時気が付いて、じゃ、しょーがないか~と先生の目の前で泣き笑い状態になってしまったのであった。

家に帰ってから、旦那に
「ねーねー、知ってたー?うち、子供たちの指全部合わせると100本だよ~!?私、3桁の数の爪切りしてるんだから~。」
というと、数字に強い旦那は
「そういえばそうだ!凄いじゃないか。んじゃ、掃除する耳も10個で、1個5分でも1時間40分だ。そりゃ無茶だ!」
と、いろいろ5倍して数え初め、うちって大変だったんだーと大笑い。
「ごめん、どうしても恐くて子供の爪切りと耳掃除は出来ない。でも気が付いたらいうから。」
と旦那に言われ、なおかつ自分がとっても大変なのだと、やっと気が付いて、とっても気が楽になりました。
それからは変なプレッシャーが取れて、保育園で爪のことを言われたら、はい!明日まで切ってきまーす。と明るく答えて、なぜか忘れずその日に爪切りが出来るようになったのです。

今では、下の2人以外、自分で上手に爪切りが出来るはずなんだけど、爪を切るのと耳掃除の時間は、子供たちにとってハハを占有できる貴重なときらしく、爪を伸ばしたくなるお年頃になった子以外は、みんな今だに私に切って貰いたがるのです。
あんなにプレッシャーだった爪切りが、今では子供との団らんの時間だったりするのに、歳月を感じてしまったりして。

はい、指の本数に気づいたことが、逆にプレッシャーを取ってくれたという笑い話でありました。

「発達障害者支援法の成立を願う120人の当事者の意見書」

11月24日に、発達障害者支援法が、衆議院内閣委員会を通過したそうだ。
それに関連して、「カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル」
で、「発達障害者支援法の成立を願う120人の当事者の意見書」
が公開された。
今、ちょっと不安定になっているせいか、自分が読むと涙が出てきてしまうのだが、今どんなことを不安に思っているのか、それを、この意見書が代弁してくれている気がする。
これを学校の先生に渡してみたら、「大丈夫ですよ。」といわれても、自分のことも娘のことも不安が募るばかりなのを解ってもらえないだろうか。
生きて生活していくのだから、今だけ大丈夫なのは大丈夫じゃないって事を。
自分のことだけだったら、今さえ何とかなれば、後はどうでも良いのだけれど。

ちょびっと前へ

学校へ行って、娘の学級で起きている問題を話し合う席で、自分にADHDの疑いがあること、そのために学校から期待される親の役割を完全には果たせないかもしれないということを、やっと話せた。
その場で久々に、手がふるえて胸が苦しくなり、涙が出そうになる、大きなパニック状態をおこしかけたけど、堪えて必死に話したつもり。
ただ、その日以来何だか不安定で、話して安心したのではなく、新しい緊張を自分の中に起こしてしまったかもしれない。思い出して、こうして文章にまとめようとすると、また手が震えてくる。
校長先生は、「正直言って、そういう可能性もあるかと思いましたが、言ってくださらないと、こちらからはなかなかサポートも出来ない。勇気を出して言ってくださったので、学校でも出来る限り対応をします。保護者会に出にくかったら、校長室に直接いらっしゃいませんか?いつでも良いですよ。」と、おっしゃってくださった。
ありがとうございます。けど、ふつう校長室は、保護者会より行きにくいと思うんですが・・・。(面白い校長先生だけど。)
上の子供の時も色々あったので、それなりに感づいている先生もいたんだなぁ。
子供の毎日の忘れ物と無くし物で、「お母さんは一体何をやってるんですか!。」と怒って電話かけてきた先生のイメージが強烈だったんだけど、子供も親もなにかとサポートしてくれた先生もいたっけ。家族が多いから、忘れちゃうのも当たり前ですよと言ってくれて。
話を聞いていた他のお母さん達も、ADHDを知らない人は、いなかったらしいし、きっと良い方向に行くと思いたい。
端から見ると全然分からなかったし、貴方やお子さんは悪くない、ましてや、貴方のお子さんはADHDには見えないと、クラスの役員のお母さんが言ってくれたのは嬉しかった。
うん、親の目から見ても、小学生の時の私程、ひどくはないように見えるんです。
このまま、自分に自信を持っていて欲しいから、本人を病院に連れて行くのは、出来る限り避けたいと思うのです。

どうしよう?

どっちがおとくを書いている段階では、子供を育てる上でサポートを得なければいけないだろうし、やっぱりきちんと自分自身が診断されることが必要だなっと考え始めていた。
けれど色々考え始めたら、会社はどうなるんだろうと気になった。
前に病院行ったときは別の会社にいた。
ストレスがちょっと多すぎて疲れただけ、ってことにしたけど、結局、そのままその会社に居続けられなかったし。
今、私が失業すれば家族が路頭に迷ってしまう。
遅刻しながらも、仕事に遅れを出しながらでも、正社員で働き続けられるなら何とか生活できるけど、普通に障害者手帳持ちでフリーターな旦那一人じゃ、うちの生活支えられない。お姑さんも、デイケア行かなきゃますます痴呆がひどくなるだろうし。
誰かのサポートは欲しいけど、仕事が無くなると困る。
会社にわかるのは、本当に困る。
どうしたらいいんだろう。
やっぱり今のままで頑張るしかないんだろうか。

カイパパ通信blogっていうところで、色々、困っている人、それを何とかしようとしている人達が沢山いるのを改めて知った。
自分はやっぱり恵まれているみたいだし、
旦那に助けてもらって頑張るしかないんだろうな。

自分で自分をADHDだと思った理由

最近になって、特定非営利活動法人 大人のADD&ADHDの会というサイトを見つけた。
心療内科のお医者さんから言われたこと、その他のことをここの内容と照らし合わせ、特に管理人さんの日記を読んで、自分の状態が腑に落ちた。
実は、自分がADHDである可能性が高いことを、自分で受け入れきっていない。
子供の数が多くなり、出来ないことはやらない!と割り切った日から、
変わり者であることが私の個性なんだからと、異常に前向きだったのに、ADHDなのかもしれないと思ったときから、ふとしたときに不安な感じに襲われてしまう。
早く、お医者さんに言った方が良いんだろうなぁ。
(けど、自分で予約を取って、忘れずに行くのが結構難しかったり。子供の病院なら、忘れにくいんだけど。)

保育園、幼稚園

保育園か幼稚園かは、親が仕事を持っているかどうか、つまり親の都合が先に立つのが普通だと思う。
そして幼稚園も保育園も、通える範囲、時間、手段などの制約が大きいけれど、その中で出来る限り、子供にあった保育内容の園を選ぶだろう。
子供のための園選びって、結局は親のための園選びじゃないのだろうか?

孟母三遷ぐらいの心意気なら、文句はないのだけれど、何かにつけて「子供のために!」ってのは、ほんとはそう言いたいだけちゃうんかと、小一時間問いつめたくなってしまう。(古っ!)
素直に、親が納得できる親のための園選びだけど、結果的に子供のためになった、あるいは、子供のためになっているって言っても良いんじゃないのかな?

特に、親の方が微妙に障碍を抱えている場合、幼稚園は無理だもの。フォローしてもらえないから。
はっきり解っている障碍で、最初からフォローをお願いするのならいいのかもしれないけど、その辺は人それぞれ(そこが微妙)だったりする。

保育園は親のフォローをし、教えてくれながら、一緒に子育てをしてくれるのが有難かった。
これは、認可でも無認可でも、公立でも私立でもそうだった。
先生の転勤があるから、対応にばらつきはあるけど、子供と親の両方を育ててくれるのが保育園だった。
普通の幼稚園は、人の話を聞いたり、自分の子供時代を思い出すかぎりでは、親が一定レベルに達してないとついていけない気がする。
ちなみに小学校なんて、もうどうにもならない。やっと慣れては来たけれど、いつも何を言われるのだろうと緊張しながら保護者会に出る。

ADHDだって親になる。自分が他の人とどこが違うのか理解できていないのに、親になる。
自分と違っている子供を育てるために、親をフォローしてくれる環境が必要だと思う。理解するのでなく、見守って、手助けしてくれる人が必要だった。
それは、今になって初めて解りはじめたことなのだけど、私は仕事を持っていて、知らず知らずに保育園の先生方の手助けを受けて子育てが出来、本当に幸運だったと思う。

働いていれば保育園の助けが借りられるが、家にいたら誰にも助けてもらえない。
ただ、他の人の普通に引きずり回されて、おかしくなってしまったかもしれない。
自分がADHDかもしれないという自覚もなく、おかしいと言われ続けけて、自分を見失っていたかもしれない。
保育園の先生は、ちょっと違ったお母さんにも、赤ちゃんに必要なモノを教えてくれる。
こうしたら、子どもが喜ぶよって、教えてくれる。
出来ないことがあったら、ここまで、出来るところまでは基本を押さえて頑張ってって言ってくれた。

「昼間は私たちがしっかりと面倒を見てるんですから、安心して仕事に行ってください!」
そういって、いってらっしゃいと送りだしてもらった保育園に、とっぷりと日が暮れた頃お帰りなさいと迎えて貰う、そんな生活の時には、娘ももうちょっと落ち着いていたのにな。

強い奴

娘は、クラスの男子全員と、毎日小競り合いを繰り返しているらしい。
靴や上履き、教科書まで隠されたりして、それでも、学校は休まない。
給食が楽しみらしい。
ちょっかいを出されることに対して「ストレスが溜まる!」と怒り、
ぶちきれて相手を追いかけ回すと、少しすっきりするのだという。
でも、それが毎日だから、疲れてきたようで、「転校したい。」と言い出した。
それでも、学校を休むとか、学校が嫌いだとか言い出さないのは、なんでなんだろう?
上にも下にも兄弟がいて、落ち着かない家より学校がいいのかなぁ?
それとも、ホントに強い奴なのかな?
強すぎると、ある日ぽっきん、っていっちゃいそうで、それも怖いんだけど。

私は、お前のことで学校に行かなきゃいけないのが怖いのに。