泣いてもしぶとく生き続ける | 人はモロイかオモロイか?

泣いてもしぶとく生き続ける

飯島夏樹さんの死を知って、前回のエントリを上げたときには、泣かないでむしろ今まで生き続けいてくださった事への感謝の気持ちを、と気張っていた。
しかし、気張りすぎだったです。
夏樹さんの公式ブログのコメントを読み、トラックバックを辿っているうちに、ボロボロに泣き崩れて、昨日1日使い物にならない奴になってました。
よくよく考えてみれば、あまり泣かずに頑張ろうとしたことで、お姑さんが死んだときには知らず知らず精神のバランスを崩してしまったのに、それも忘れて私も懲りない奴です。もともとすぐに泣く奴なんだし。
涙を止めるのをあきらめて、泣きながら、今まで私の目の前から居なくなってしまった人たちのことを思いだしていた。考えてみれば、死は常に身近にあるのに、いつまでも慣れない。

食道癌で苦しんで苦しんでもがき苦しんで死んだ叔父さん。
学校のプールで夏休み中に遊んだのに、2学期には盲腸でなくなっていた小学校の下級生。
就職が決まって、新しい手帳の4月1日の欄に「入社式」とだけ書き、スキー場のゲレンデの上で心臓マヒで死んでしまった友達。
突然脳内出血で倒れて、一カ月意識不明のまま死んでしまった父さん。
老衰で、畳の上でみんなに見守られて消え入るように亡くなったお祖父ちゃん。
晩ご飯の後に、コタツでぽっくりとくも膜下出血で死んだお祖母ちゃん。
お腹の中にいたのに気が付かず、無理をしちゃって、いなくなっちゃった赤ちゃん。
「肺ガンになっちゃった」と、年賀状が来て、それから一カ月で死んでしまった、いつもの飲み屋のマスター
私の目の前で心臓と息が止まってしまったお姑さん。

思い出したらやっぱり悲しかった。
でも、それでも泣くだけ泣いたら前を向いて、悔やまないようにしたいな。
亡くなった人たちに、夏樹さんや夏樹さんの身近な人にも、悲しみじゃなくて、今生きてる大切さを貰いましたという気持ちを伝えたいから。

そう、少しばかり世間に迷惑をかけ続けて生活してるけど、それでも私は生きられるだけ生き続けたいです。私も家族も、生きていて良いんだと思い続けたいのです。