はじまり | 人はモロイかオモロイか?

はじまり

はっきりとADHDだと診断されたわけではない。

もともと他人からは変わった人だと言われ続けていた。しかし自分ではどこが変わっているのかを理解しないままだった。いろいろとトラブルもあったが、違いを認識して許容してくれる人もいるので、とりあえず大きな問題はなく生活をしているつもりだった。

3年前、色々あって精神的に追い込まれたようで、感情の出方がおかしくなった。パニック症候群ではないかと内科で言われ、心療内科を紹介されて通ったら、パニックの原因はストレスに、元々の性格的な傾向が加わった物だという風に説明されたのだ。その性格的な傾向というのが、もしかしたらADHDだった可能性があるらしい。
昔はADHDなんて病気はなかったけれど、親や学校の先生、クラスメートとの関わりの中で訓練されて、日常生活を送るのに問題がないように育ってきているのだから、今さら検査もいらないし、お薬などにも頼らず、ストレスをなるべく減らすことで対処した方が良いといわれた。
その話を聞いたときには、医者の言うことを素直に聞くことが出来ず、なんでちゃんと治療してくれないのかと思ったが、じっくり話を聞いて貰ううちに、自分の性格の偏りとこだわり、それを強制するための訓練(躾)の間に常にある葛藤が、過度のストレスのためにバランスを取れなくなって表面化したのだから、病気ではないと納得はした。
ただ、そのストレスを取り除くために医者にアドバイスされたのは、『出来ないことはやらなくて良いと思う。夫に自分の状態を説明する。他人の助けをできるかぎり借りる。』ということだった。出来なくても放り出すわけにはいかない小さな子供もいるし、人に助けを借りると言うことは、自分の現状説明を他人にする必要があるので、それは難しくイヤなこと、更なるストレスなのに。医者は、そのイヤなことができれば、楽になって結局ストレスがへり、かえって家族に迷惑が掛からない。まずは、夫に自分の出来ることと出来ないことをわかってもらい、他人からの手助けを受ける部分は、夫にやってもらえるようにした方がよいといった。そのために、夫婦揃って受診するのも良いことだと言ってくれた。
その時点で、思っていたことは吐き出すだけ出して、自分の頭で考えられるようになってきていたので、とりあえず「出来ないことを放り出してストレスを減らす」宣言を夫にし、病院へは行かなくなった。私の極度の物忘れ、片づけられないといった性格は、もともと夫は承知している。それが、「病気ではないが、普通の人のように出来ない」ということまでは言わなかったが、それをなくす努力がストレスになる、と説明した。納得はしなかったけど、私が落ち着くのならと、主人も無理(私にとっての)を言わなくなった。

しかし、人と同じようには出来ないと、自分から素直に言えるようになっても、できないの程度を理解して貰うことは難しい。「みんなそう言うのよ。」と、一言で片づけられ、やっぱり出来なかったりすると相変わらずトラブルになったり。それでも自分のことだけなら、変人といわれようが、駄目人間といわれようが、頭を下げまくって、出来る限りのことをやればなんとかなると経験してきているから、それでも良かった。

最近になって、娘の一人があまりにクラスメートとトラブルを起こすのが問題になった。元々、いろいろトラブルの多い子だったが、この子だけどうしていつまでも、と思ったとき、自分と同じなのかもしれないと、今さら思い当たった。
何で今まで気づかなかったんだろう。そして、改めてADHDの事を調べると、どう考えても普通の親がキチンと訓練してやらなければいけない気がする。自分はどうやってこの子を育てていったらいいのだろう。
思い返せば集団生活には全然なじめなかった子なのに、おかしいと思わなかった自分は、やっぱり自分の中の基準がおかしいのだと思うが、どうすればいいのかが判らない。